物質文明とデータ文明

僕らの子供の頃は、比較的まだ「物が全て」の時代だった。

大量消費社会の名残がまだあり、家電とかではないものの、ゲーム、漫画、大人の趣味なら車、釣り、ゴルフ等とにかく「物」として存在する時代だった。

今ふと回りを見てみると、「趣味」のものがそのまま存在していない。ゲームはオンラインで購入するし、漫画も嵩張るので物理では買わない。値段は同じだったとしてももっぱら電子だ。CDもない。データはインターネット上にあり、実際の物としては所有していない。

すっかり「データ」の文明になっていて、家にあるのは「端末」としてのスマホ、PCと、それから家具くらいなものである。「場所効率」は良いものの、子供の頃を思い返してみればいささか殺風景だ。

子供の頃は物に溢れていた。ゲームを沢山持っているクラスメート、漫画が本棚一杯にある人。そう言った物でなくと「CD」を買ってきて「ラジカセ」で聞いたりしていた。

効率的にはなったが「色」が全くない。色は端末の中にしかない、スマホか、PCか、その画面の中だけだ。

今の人は物を持たない。生きながらにしてミニマリストかも知れない・・・。一部の人は、ブランドバッグを買ってみたりだとか、反動があるかも知れないが・・・。

「物」が「価値」でなくなった世界で、ただ情報に流され、追いかけていく人生は、もはやSFの世界だなと。

そう言った時代の中で、少し物を持ってみようかなと言う気持ちが生まれた。趣味の道具でもいい、本とかでもいい。そう言った「何か」を持っておかないと、心の拠り所がないような気がした。形がなく、現実味がないと、ただただ漂うだけの存在になってしまう。

「アンチミニマリスト」…と言う話かも知れない。ただ、現代人は何か物を失いすぎているような気もして、そう言った事をしてみるのも一つアリなのでは。と思ってみたりした。